『だからなんだって、アンタがその部屋を使ってるんだ!?』 という勇治の声で私は目覚めた。 耳が良いことは余り嬉しくない。 聞きたくない声を聞いてしまうことがあるからだ。 寝ている時は耳は無防備であり、意外に遠くの音まで聞いてしまう。 『あ、その、ごめんなさい。駄目だったのかな?』 戸惑うように返答するのは綾乃さんだ。これは止めなければならない。 勢い良く立ち上がり、寝間着のままで言葉の銃撃が絶えないと思われる前線へ向かう。 場所は……一階なのだ。うん。しかも部屋から出て直ぐ右側。 つまり開ければ直ぐに二人の姿が見て取れる。 綾乃さんにはその部屋で寝てもらっていた。 そして勇治が怒っている。 ……何と無く察することはできた。 「あ、宗一郎。おはようございます」 「おはよう、綾乃さん。勇治」 声をかけるとキッと睨んでくる。 「アンタがここで寝ても良いといったのか?」 「そうだ」 「なぜ。ここは子鈴の部屋だろう」 やっぱりそのことで怒っているんだよな……。 さて、なんと言えば良いかなぁ……。 「この家に開いている部屋は一つだろう? ここしかない。昨日ここにいて良いと言ったんだから、ここにいるのが普通じゃないのか?」 「何処が普通だよ、相談も無しに決めて」 おお、……ここで相談と言う言葉が出てきますか、勇治先生。 私はその言葉からこの家の中で一番縁遠い人間だと思ってましたよ……。 「じゃあ、相談したとして、彼女の部屋は何処になるのだろう?」 「リビング。それかアンタの部屋だ」 「両方却下だ。リビングは寝るには寒いし、私の部屋で一緒に寝る訳にもいかないだろう?」 「え、あ、あの、私リビングでも良いですけど……」 綾乃さんが小さく発言するが、この場は無視する。 「だったら追い出せよ」 「昨日は良いと言ったのに、今日いきなり駄目だと言うのか? これくらいのことで意見を翻すんだ、勇治は」 「これくらいのこと!? この部屋はッ!」 ここからさらにエスカレートするだろう私たちの会話を、 「あーー! 煩い! ちょっとは黙ってなさいよ!」 二階から愛をこめて。 家族の喧嘩を仲裁するやさしい長女の言葉が響いたのだった。 第二話 「キオクの形、ココロの形」 とりあえず長女の言葉に落ち着いた、我が家一番の問題児は、リビングで腕を組んで、一応は話を聞く体勢だった。 綾乃さんはこの場にいなかった。 余りの煩さに切れて降りてきた結花の機嫌を取る為、何か美味しい物を作るそうである。 「納得はしないんだな?」 「するわけ無いだろう」 「昨日は納得しただろう」 「してない」 「してないのに頷いたのか。何故なんだ?」 「一々聞いていられなかったから」 「何で聞かないんだ」 「何でアンタの話を聞かないと駄目なんだ!」 質問で埋め尽くしてやると、とうとう勇治は切れた。別に怒らせる気は無かったのだが、怒ることは理解していた。 相手が怒っている。故に自分は冷静に。 これは自分の恩師たる人が教えた言葉だ。 相手が火なら自分は水となれ。 「勇治。確かに相談もなしにあの部屋を使わせたことは悪いと思っている。お前のこと、考えてない俺が悪かった。だからって、彼女をリビングに寝かせたりは できないだろう?」 「だったら、アンタの部屋があるだろう!」 「じゃあ、その理論なら、勇治の部屋でも良いのか?」 「何で俺の部屋なんだよ! アレはアンタが拾ってきたんだろう!?」 「物みたいに言うな」 しっかりと見据えていってみるが、勇治はそれでは納得しない。 さて、どういって言いくるめようか……。いや、言いくるめることはできないのかもしれない。 あの部屋、子鈴の部屋は、中に特に何も無い。 あの部屋でいた時間はそれほど長くなかったから。 その何も無い部屋に、お客用の布団を引いただけなのだ。 それだけでもこの反応だ。 「オニギリ作りました。一杯作ったので食べてください」 綾乃さんが大皿に小柄な十個にも及ぶオニギリを持ってきた。 「ありがとう」 「はい、お水です。勇治さんもどうぞー」 笑って水を差し出すが、一睨みで黙殺。 ああ、なんと強情な息子なんだろうッ! お願い、もう少し寛容な心を持って……子鈴さんの十万分の一でいいから……。という私の心は、その険しい目つきに一刀両断される。 はふ……、内心の溜息の回数が、もうこの三年ほどの間で急上昇しているなぁ……。 「宗一郎。私ここで良いですよ。部屋の選り好みできる立場じゃないんですから」 「ここは部屋としては少し寒いんだ。風邪でも引いたら大変だし」 「ああ、大丈夫ですよ。バカはきっと風邪を引きません!」 胸を張って言う綾乃さん。ここで自分が引けば丸く収まると思っているのだろう。 確かにその通りだ。 だけども、やっぱりそれは……。 「コレもこう言ってるんだ、だから」 「勇治さん」 勇治は綾乃さんを睨む。 頼む勇治、睨むのは私だけにしろ。流石に其処まで優しくないぞ、私は。 と、恩師の言葉のすっかり忘れて、火の自分になりそうな心を目線に乗せてしまう。 「私の名前は、林咲綾乃。昨日自己紹介しましたよね? 林咲とか、綾乃とか、呼び捨てしても構いません。でも私はコレとか、アレと呼ばれるのは嫌です」 「そんなのはしらな―――、」 「私は、林咲綾乃。はいっ」 手を叩いて、まるで子供に言葉を教えるように綾乃さんは言う。 「……いや、だから」 「綾乃でも構いませんよ?」 にぱっと笑っている。 くっと勇治が押される。 「アヤ、という呼ばれ方にも憧れますね、どうです?」 「……わかった、林咲だな。わかったから黙っていてくれ」 綾乃さんおそろしや。あの勇治を根負けさせるとは思わなかったよ。 「♪〜」 名前で呼ばれたことで満足したのか、綾乃さんは席を立ってキッチンへ戻ろうとする。 「あ、後二人とも。本当に私はここで良いです。気になさらないで下さい」 そう捨て台詞を残して、彼女は去っていったのだった。 「なあ、勇治……」 と、話を続けようと思ったのだが、 「好きにしろ」 と立ち去ってしまった。 あ、オニギリ六つ持っていきやがった。 「……はぁ〜〜……」 一つ手に持って食べてみる。うん、美味い。塩加減も良いし、中身におかずの換わりに出るイカナゴが入れられていた。 よく見つけたな、冷蔵庫の奥にあったと思ったんだけど。 「勇治さんは、話せば分かる人ですね」 「そうなんだけどね、こと子鈴さんの事になると……」 綾乃さんがオニギリの追加。ラッキーである。 という事で独り占め。この場にいない勇治が悪い。 「勇治さんは……子鈴さんの事が、本当大事だったんですね」 「そうだな……。どっちかと言うと、仲がよかったけど、よく困らせていた。やんちゃな奴で。……子鈴さんが死んだ時、一番泣いていたのは勇治だった」 私は勇治の半分くらいの時間。 結花は涙を一つも見せなかった。 だが、今も悲しんでいるのは、きっと三人共だと思っている。 「優しい子じゃないですか」 「そうだよ。凄く優しい子だ。私以外には。……ま、ようするに私に問題があるんだろうけど」 綾乃さんは頬を人差し指で掻きながら困った顔で、 「宗一郎、難儀してますね……」 「難儀してるよ」 「とりあえず、私は頑張って、勇治さんと結花さんと仲良くなりますよ」 立ち上がり、キッチンへまた戻っていく綾乃さん。 耳を開放してみる。聞こえる声。 『綾乃さん、食べないの?』 『あ、そろそろ食べます。結花さんはまだ食べます?』 『わたしはいいよ。そろそろ勉強始める。そうだ、また煩くしたら、何とか宥めてよ、あの二人』 『まかされました』 まかされるのかッ!? まあ、とりあえず、あの二人は問題なさそうだった。 さて、勇治のあの言葉をどう取るべきか。 好きにしろ。額面通りに取れば、子鈴さんの部屋で寝ても良いと言うことだ。 だが、そうでないかもしれないと言う可能性もある。 本当に、難しいことだった。 ● お昼になり、食事はどうやら綾乃さんが作るようで、楽しみにしていたのだが家に連絡が入った。 電話の相手は大学の研究室の相方、昴日先生だった。 どうやら卒論の何かの問題があったらしい。その学生の相談で、どうしても私が良いというのだ。 生徒ご氏名という事で、急いで私は大学へ向かうことにした。 パッパと問題を片付けて、昴日先生は思い切り平謝り。 「すみません、私が不甲斐ないばかりに……。折角のおやすみを……」 確かに、今日は日曜日だ。でもまあ、それほど面倒でもないし。学生の問題を解決してやるのも、教授として当然の仕事の一つである。 「いえいえ、問題ないですよ。あの学生は私がよく話してましたから。私のほうが問題を解決しやすかったんですよ」 「ううう……お詫び、何かした方が良いですよね。えっと、お昼って食べ終わってますかー?」 ああ、そう言えば食べずに来た。帰ったら残ってるかな……。 「それで、お弁当があるんですがどうでしょう?」 布に包まれたお弁当箱をこちらに寄越す昴日先生。 「そうなんですけど、食べてくださって結構ですよ」 「でもそれだと、」 「良いのですよ。お礼を形に表したいだけですから。ああ、そう言えば。思ったんですけど、たまには皆でどこかへ行ったり、遊んでみるのも良いかもしれませ んよ?」 「え?」 急に話題を変えた昴日先生。ついて行けずについ、間抜けな顔で聞き返してしまったかもしれない。 「息子さん達の事ですよ。昨日二日前より顔色よくなりましたが、それでも土曜日の休日が入っているのに、どこか顔色悪いですよ?」 「そうですか? まあでも、少し気が楽になりそうな、もっと酷くなりそうなことが、どっちか分からないけど……あったんで、少し楽しんでいます」 コレは本心。今まで苦労はしているが、大変だとも思っているが、あの二人を嫌いだと思ったこともないからだ。 だが、私が言った言葉を理解できないのか、昴日先生は首をかしげる。 「まあ、色々ありまして。……ふう、家に御飯ないかもしれないんで、これ、ありがたく頂きますね」 そういうと昴日先生はふわりと笑って喜んだ。 「では、私は購買部で何か買ってきます。あ、飲み物も買ってきますよ、何が良いですか?」 「飲み物は良いですよ。お茶入れますから、先生も何も買わずに帰ってきてください」 「はい、では行ってまいります」 サッと頭を下げて走り去る。動きはどこか丁寧なのに、走ったりする所はなんだか可愛いと思える。その辺りが、生徒に慕われる由縁なのだろう。 今回の相談毎も、たまたま私が詳しかっただけで、本来なら彼女を頼ってきたのだ。 昴日先生は息も荒くサンドウィッチを買って帰ってきた。卵サンドと、かつサンドだ。 「コーヒー、入れておきましたよ」 「え? お茶じゃなかったんですか?」 「ここの購買部といえば、コーヒーだと思ったんで。サンドウィッチとコーヒーは合いますよ」 特に卵との相性は抜群だったりする。そして、昴日先生がいつも卵サンドを食べていることを私は知っていたので、お茶からコーヒーに変更したのだった。 「確かに合いますよね……。ありがとうございます」 外は寒かったのだろう、両手で湯飲みを抱えて一啜り 「相変わらず、亜島先生の淹れたコーヒーは美味しいですね」 「どうも。そういえば、いつも購買部のサンドなのに、今日に限ってどうしてお弁当を?」 「あ、おやすみだからですよ。私お昼少し前に来まして。本当は屋上で食べるつもりだったんですよ」 「……こんな寒いのに?」 私は外の景色を見つめて呟いた。昨日は雨だったが、今日は運が悪ければ雪が降る寒さだった。 「寒空の下、紙コップのココアなどを飲みながら、お弁当を食べるのも良いですよ」 「弁当にココアって……、このお弁当にですか?」 私は苦笑しながら言い、昴日先生も苦笑しながらそれに頷いた。 オニギリ二つ。出汁巻き一切れ、から揚げ一つ、タコさんウインナ一つ。 コレをココアを飲み物にして食べろ、というのは少し酷だが、何と無く彼女はいつもそんなことをしていそうだ。 「変なんです、きっと私味覚が」 「あはは……。そういえば、どこかに行くとか、遊ぶとか言いましたけど、どんなのがいいでしょうね?」 「そうですねー」 卵サンドを二つ重ねてかぶり付きながら、コーヒーを一口。 「遊園地とか、動物園という歳でもないでしょうし。海、という時期でも……」 揃って二人で外を見て溜息。 『違うんですよね〜』 「年末に向けて、何かカードゲームでも買っておくとか?」 「それもいいですね。買っておきます。……遊んでくれるかどうかは不明ですが……」 「大変ですね、亜島先生も」 苦笑一つ、とりあえず食べ終えた私たちは、部屋の片付けを軽く済ませた後、帰路に付いたのだった。 ● 月曜日。 日曜日の夜は綾乃さんはリビングで眠り、私も気になったのでそれに付き合った。 何と無く無駄に長く話して、ソファーの上で二人揃って眠りこけていた。 綾乃さんが眠っているもう一つのソファーは、私が眠っている物より小さい、一人で座る用だたった。 「しまった、気が付かなかったな……」 自分の失態を毒突きながら、ずり落ちた毛布をかけなおして、大学へ行く準備を始める。 キッチンには既に勇治が朝食の準備をしていた。 「おはよう」 「……部屋にいなかったな」 「ああ、リビングで寝た」 会話はそれきりだった。適当に作られた料理を目の前に置かれて、勇治はさっさと学校へ向かうようだった。 たまに思う、勇治は学校へ行くのが早過ぎないだろうかと。 「なあ、勇治。たまには一緒に食べないか?」 チラリと一瞥。だが、小さく鼻で息を吐いて勇治は出て行った。 ……くそぅ……、頑張れ私、負けるな私……ッ! 涙を堪えながら、私は勇治の作ってくれた朝食に手をつける。 ……こんなに美味しい料理が作れるのにな。 「本当、おいしいですよね。……は、ふぁ……へぷちッ」 何時の間にか居た綾乃さんが、くしゃみをしながら横に居た。 「ああ、綾乃さん。って、大丈夫か?」 「いえいえ、鼻が痒かっただけなんですよ、……くしゅッ」 ……ちょっとまてまて……。 私は綾乃さんの額に、自分の額をくっつけた。 「うわひゃ!? 宗一郎、ちょ、ちょっと……」 「熱、あるじゃないか。やっぱリビングは駄目か……」 「そうだね。リビングは止めたほうがいいよね」 背後に、なんだか妙に冷めた声の結花が立っていた。 振り返ると、なんだか眼鏡の奥の瞳が鋭い様な気がするのは気のせいだろうか……? 「父さんは大学行きなよ。林咲さんは私が見るから」 てきぱきと指示を出して、結花は動き出した。 「……早く行きなって!」 ビシッと指差して命令する結花。 「あ、ああ……じゃあ、頼むな?」 「いってらっしゃいです、宗一ろぅ……くちゅんッ」 手を振る綾乃さんと、その背後で土鍋を取り落とす結花。 「……結花も熱があるんじゃないのか?」 言いながら近付く私に、いきなり包丁を突きつけてきた。 「熱なんて全くない。さっさと行きなさい」 「わ、わかった、分かったから降ろしてくれ……」 結花は力を抜いて包丁を下に向ける。 ふっ、甘い――――! 私は瞳をキラーンと光らせて、 そっと右手を結花の額につける。 ![]() 「ぁッ……」 ……特に、熱いわけじゃないのだが……。 ドスッ! 「どわ!?」 何故か結花が持っていた包丁落下した。 「ゆ、結花、ちゃんと持っておかないと危ないじゃないか……っ!」 「……父さん」 ……ん? なんだ、この寒い感触は。 背筋が寒い。 圧倒的なプレッシャー。 それは目の前の結花から発せられている。 「な、なにかな?」 「最後通告だ。今すぐ手を離して、即座に私の前から消えろ」 それは包丁を持っていた時よりも冷たく恐ろしい物だった。 「……わ、わかったっす」 コロサレル――――、はっきりと感じ取った殺気に私は恐怖を覚えて逃げ出した。 玄関まで小走りに移動して、耳の制限を解除した。 『結花さん、顔真っ赤ですよー』 『…………黙っていてください』 『むぅ、あのさ、宗一郎、何か悪いことしました?』 靴を履きながら、小声で話している二人の会話を聞いてしまう。やっぱどうしてなのか? という事が気になるから。 卑怯であり、盗み聞きという行為だ。褒められた物ではないのだが、やっぱり……。 『してないわ。してないのよ』 『だったら何故です? 宗一郎、結花さんを心配しているのに』 そのとーりだー。と、声を大にして言いたい。 『林咲さんには関係ない。あと、父さんの呼び……「そこ! 何時まで玄関で座ってるの!!!」』 「ご、ごめんなさい!」 思わず私は立ち上がり、ダッシュで大学へ走っていった。 ● 家に帰ったら、綾乃さんの風邪は悪化していた。 さて――――、 「勇治、」 「ああもう、いい。構わない。あの部屋を使ってくれても」 「そうか、ありがとう」 とりあえず言質は取った。 「……どうせ、アンタの家だろう。そのうち出て行く俺が、とやかと言える立場じゃないんだ」 「それは違う。この家は勇治の家でもあり、結花の家でもある。子鈴さんに家でもあるんだ。だから、ありがとう」 「……早く部屋に運べよ」 「ああ」 リビングのソファーに寝かされていた綾乃さんを抱きかかえ、子鈴さんの部屋に連れて行く。 「……亜島さん、ごめんなさい……」 「ああ、いいけど……あれ?」 なんだ、今違和感があったな。 「勇治さんもごめんなさい。大切な部屋なのに」 「……ちょっと間だろう。そのうち出て行くんだし」 「そうですね」 苦しげに笑うので、余計に痛々しい。早く寝かせてあげよう。 勇治が珍しく先導し、子鈴さんの部屋を開いてくれた。自らそうして動いてくれたことが、とても嬉しかった為、不覚にも涙が……ッ。 「早くしろよっ。つか泣くな!」 「うう、ありがとう勇治」 彼は小さく舌打ちした後、さっさと去って行った。 「やっぱり、勇治さんは優しい人ですね」 「でしょでしょっ」 なんだか嬉しくてついつい舞い上がってしまった。 だからだろうか、つい、忘れてしまっていた。 どうしてソファーで一人苦しんだままだったのか。 一つの違和感と共に、すっかりと消されてしまっていたのだった。 部屋に寝かせた後、私はキッチンへ戻り、何か消化のいい物を勇治の頼むつもりだったが、何も言わないでも作っていた。 「ありがとう勇治」 返事はない。いつも通りだが、少し昔の勇治の優しさらしき物を見ることができ、とても嬉しかった。 私自身に優しくしたことはないのだが、子鈴さんにはとても優しい男だったのを覚えている。 子鈴さんはとても優しい人だった。だからだろうか、いつも損をする役回りをすることに成り、それをフォローするのが大体勇治だった。 いつも学校で問題を起こして、喧嘩をしたりして一番困らしていたのも確かなのだが、子鈴さんを一番守っていたのは、勇治なのかもしれないと、私はずっと 思っていた。 だから私は、時たま間違ったことを言ったり、口が悪かったりするが、彼のことがとても好きだった。 息子として、誇らしく思えるように。これが、本当の父親の心境なのかどうかは不明なのだが、それでも私は勇治を誇らしく思う。 「勇治。子鈴さんの、事だけどな」 「もうそれは良いって言ってるだろっ」 触れられたくないのだろう。誰が一番悲しんでいるか、などとは比べることなどできはしないけれど、私よりも苦しみ、悲しんだかもしれない勇治には、きっ と辛い事だ。 だからこそ伝えなければならない。 知っていて欲しい。 「子鈴さんの持ち物って余りないよな。あの傘だって、数少ないものの一つだけどさ。大事にするだけじゃ駄目なんだと思う。第一、大事な物だけど、大切な人 が使っていたものだけれど、いつか無くしたり、壊れたりするかもしれない。食器もそうだろう? 使わずに置いているけどさ、使えば割れたりする」 「だったら、使わなければ良いんだ」 「だけど、子鈴さんはそんな事考える人だったか? 使えるものはちゃんと使う人だっただろう? 大事だからって、仕舞いきって、そのものの本来の用途に 使ってあげない。そんな人じゃなかっただろう?」 「そうして、全部使い尽くして忘れろって事か? そうして、新しい人見つけて、アンタは満足かよ?」 ……もしかして、そのことも怒っているんだろうか。 子鈴さんのことを忘れ、綾乃さんを代わりにした、とでも思っているのだろうか……。 そういう風に見えていたのなら意外だが、今はそれは関係ない。 「私は、物に記憶が残るのも大事だと思うけど、心に残っている物も忘れては駄目だと思う。いや、むしろこっちのほうが重要だ。あの人の笑顔、あの人の言 葉、あの人の意思」 それは、物を大事に正しく使って欲しいと言った、そんな意思であり。 死ぬ間際に頼まれた“約束”であったり……。 「このさ、」 胸に手を当てる。 「ここに残っている大事な思い出を、最も大事にすればいいんじゃないかな? 納得して欲しいと言ってるんじゃない……ただ、そういう人だったと覚えていて 欲しいと、私は思ってる。これが私の考えだ」 返事は返ってこない。生米から作ったお粥が出来たのか、お盆に載せてテーブルの上に置いた。 「持っていけよ」 「ああ。ありがとう……」 そして見る。作られたお粥が盛られている皿を。 それは子鈴さんの愛用の小さな土鍋。朝方結花が落したそれとは別の物だった。 振り返ると勇治はもう既にいなかった。 だけど、どこか満ち足りた感じで、私はその粥の入った土鍋を持って、綾乃さんの元へ向かった。 「綾乃さん、起きてる?」 「うん――、あ、お粥ですね」 「ああ、勇治が作ってくれた。きっと美味いよ」 「ですよね。勇治さん料理、凄腕ですよ」 上半身をゆっくり起こして、綾乃さんはレンゲを持って食べ始めた。 「うん、やっぱり美味しい」 「その粥、勇治なりの詫びだと思うから。あいつのこと、許してやって欲しい」 「……許すも何も、勇治さんは悪いことしてない。この部屋が大事だっただけなんですよ。それに風邪を引いたのは、昨日毛布を落して眠っていた私が悪いんで すし。もしかしたら、雨に降られたのも悪いのかもしれないですしね? だから私が悪いんですよ」 美味しいそうに笑って食べながら、綾乃さんは続ける。 「朝、毛布をかけ直してくれて、ありがとうございます」 「起きてたんだ?」 「えっと、眠っている所に人が近付くと、私、瞬間的に起きちゃうんですよ。何度か野宿したことがあったんですが、その時変な人とか近寄ってくるのが恐く て、防衛本能身に付いちゃいました」 あはは、と笑う。 野宿とかもしたことがあるのか。 「綾乃さんはどうして――――、」 「旅をしているか?」 頷く。 「なんとなくですよ。なんとなく、ぜーんぶ、やになっちゃって、だから歩いて、ずっと歩いて、歩き続けてきたんです。歩いていたら、色々忘れられそうだっ たから」 その言葉に、私は先ほど勇治が言った言葉の逆の意思を見た。 だから、 「忘れたいの?」 「……うん」 安らかに眠るように目を瞑り、小さく頷く綾乃さん。 「忘れないと駄目なことなのかな?」 「憶えていたら辛いから」 確かに私も辛い。 憶えているだけで辛い。 でも、忘れるのはもっと辛い。 ……だが、綾乃さんは忘れたがっている。 ……どっちが正しいとは言えない。私と彼女の立場は違うのだから。 「……顔、怒ってますよ、亜島さん」 「ごめん。怒っているつもりは無いんだ」 「子鈴さん、良い人だったんだね」 「凄い人だった。悪い所、数えるだけで七つくらいあるけどさ」 「あるんだ」 クスリと笑う綾乃さん。 「良い所は数え切れなかった――――」 「そっか……」 お粥を食べ終えて、綾乃さんはご馳走様と、手を合わせる。 「美味しかったですよ。勇治さんに伝えてください」 「了解。じゃあもう寝た方が良い。目覚めたらその、右の壁叩いてくれれば、私起きてくるんで」 「……うん。お休みさせてもらうね」 ゆっくりと布団の上に眠りに突きながら、綾乃さんは直ぐに寝息を立て始めた。 「おやすみ」 扉を閉めてキッチンへ。 其処には冷蔵庫を漁っている珍妙な珍獣がいた。 その珍獣は、赤い色をしており、もそもそとお尻をこちらに向けて冷蔵庫に顔を突っ込んでいた。 どてらの下はスカートだったのか。というか今日はスカートだったのか。白い生足&見えそうで見えない下着。 って、見つめてどうする。 何故其処まで顔を突っ込むのかと言うと、何故か家の冷蔵庫、無駄に奥が深いからである。 「どうした、結花」 「……え? ああ、お腹空いたから」 「そうか。何か作ろうか?」 「今更、父さんに何か作ってもらうとは思ってないよ」 あ、やっぱりか……。 何を隠そう、私は一切の料理が出来ないな避けない父親だったりする。 隠す必要も無いな……ふぅ。 といっても結花も得意ではない。朝食程度は作れるのだが。 「あ、ソーセージ発見」 「うわ、まて、それ何時のか分かったもんじゃないぞ?」 「冷蔵庫に入っていたんだから問題ない。それより、あの人、何時までこの家にいるの?」 「あの人って、綾乃さんか?」 「他に誰がいるのよ、そーよ、あの“綾乃さん”、よっ」 わざわざ名前の部分を、私の呼び方のマネをした。皮肉なのだろう。 「……なんだ、駄目なのか?」 「駄目と言うか、何時までいるのか、って聞いてるの」 「そうだな……特に決めてないけど」 「早く追い出しなさいよ。煩いんだからさ」 ……あれ? なんだ、昨日までの態度とは全然違う。 綾乃さん、なにか結花を怒らせるようなことをしたのだろうか? 「第一ね、二十代っていう良い年した女が、どうして見知らぬ男というか、こんな変な家族の家に転がり込もうと思うわけ? なに考えているんだ、と言いたい わよ。ね、考えても見てよ。ここにはまだ若い、何時暴れ出すかも分からない男二人もいるのよ? 私一人で押さえられないかもしれないって、考えない物かし ら?」 いや、私は猛獣っすか? 「私はそんなことはしないし」 「だから何よ? 勇治がそうするかもしれないわ。あの子ならやりそう。うん」 「たまに思うんだが、何気に私と勇治に対する評価が酷い時があるね、結花は」 「事実でしょ?」 いえ、事実無根です。 私は内心溜息を吐き出した。 何で昨日とはここまで違う意見がぼろぼろと出てくるのだろうか。 「というか、なに、居候って決めたと、ちょっと住まわせるだけって言ってたくせに、今ではまだ分からないというか決めてない? 父さん言ってることおかし いよ」 ……たしかに、其処を責められると痛い。流石に、勉強ばかりしているだけはある、結花の言い分にグゥの字も出ない。 「第一ね、家の経済状況はそれほどよくないのよ? 分かってる? 人一人を養えるだけ、家は豊かなのかしら?」 「それに関しては問題ないぞ。ちゃんと、蓄えはある。何かあった時に咄嗟に使える貯金だってあるしな」 「その、何かあった時が、今だと思う? 赤の他人を助ける為に、将来の為になるお金を使おうって言うの?」 「結花、どうしたんだ一体……。昨日までの結花とは全然ちがうな?」 「……そう? 私はいつも通りよ」 「そうかぁ? 何だ今日、急に綾乃さんに厳しくなった気がするのだが」 途端、結花の眼鏡の奥の瞳が険しくなった気がする。 「だから? なに?」 「結花。理由もわからないのに、いきなりそう言った態度をされると、私もどうしたら良いか分からない。出来ればちゃんと、順を追って教えてくれ」 「今言った通りよ。赤の他人をどうして家に置いているの。子鈴母さんじゃあるまいし。ましてや、犬や猫じゃないのよ?」 ……ふむ。ちょっとじっくり話した方が良いな。 私は気持ちを切り替えて話し掛ける。 「家族と、赤の他人との、定義って何だ?」 「……え?」 「何処からが家族で、何処からが赤の他人かな」 「そんな物、血が繋がっているか、そうじゃないかでしょうよ」 「だったら、私たちは家族じゃない、のか?」 その言葉に一瞬たりとも、結花は間を空けなかった。 しまったな……今のは私の墓穴だ……ッ。 「違うわ。前にも言ったでしょ? 父さんって呼ぶのは義理。私は貴方を父さんだなんて思ってないんだから。何度も言わせないで。それとも、私が父さん父さ んと呼んでいるから、勘違いでもした? ふざけないで。その程度のことも憶えていられないなんて、何時から脳細胞がそんなにやわになったの? のーてんき になって、あんな子拾ってきて。何考えているんだか」 言い返すことも出来ない。 前にも言われたことなのだ。 自分は“父さん”とは呼ぶが、本当に父さんだなんて思っていない。だから、貴方も私を娘扱いにするのはいいけど、娘だとは思わないで欲しい。 そう言われた。 今の結花の言葉を逆手に取り、赤の他人なんだから、綾乃さんも居て良いだろう、という理論は私には使えない。 それは、勇治と結花を否定する言葉だから……。 「話、それだけ? 私勉強あるし、行くよ?」 「結花」 止まる。その背に向かって、私は何が言えるだろうか。 綾乃さんを連れてきたことは、私の間違いなのだろうか。 それとも、結花を納得させられない私の間違いなのだろうか。 結局、私は間違っているのだろうか。 戸惑っている私に、結花は呆れたように立ち去った。 ……くそッ! 本当に、不甲斐ない。 どうしたら良いんだ……、教えて欲しい、子鈴さん……。 ● 朝。 まだ日が昇りきらない時間に、壁がこつこつと叩かれた。 「……起きたのか」 直ぐに起き上がり、寝間着のまま隣の部屋へ。 「おはよう、綾乃さん」 「あは、凄い。今ので聞こえたんだ?」 「昔から耳だけはよくて。それで、どうしたのかな?」 「……実は、」 神妙な顔つきになって言う。 「三時ごろに目が覚めて、お腹空いて死にそうだった」 「もっと早く呼べば良いのに」 三時頃から今まで……五時半まで、ずっと座っていたんだろう。 「そんなの悪いよ、今日も大学なんだろうし。自分で作ればよかったんだけど、どうもまだ身体が動かしにくくって」 少し綾乃さんの口調が砕けた物になっているのに気がついた。 慣れてきてくれているのか、それはどこか、嬉しいことだった。 「んー……私が作っても良いかな?」 「作ってくれると嬉しいのだけれど、良いかな……っていうのは?」 「実は料理は不得意……」 とても悲しい現実を伝えた。余りの使えなさ過ぎる自分に嘆く。 「あははっ、じゃあ、じゃあ、私が教えてもいい? キッチンまで一緒に行って、私が教えるから、亜島さんは作る役でどうかな?」 「それで行こう」 それなら百人力だと、私は綾乃さんの身体を抱きかかえた。 「ふわっ!? あ、あの、肩を貸してくれるだけでいいんだけど……」 「いえいえ、姫をキッチンまでお送りいたしますよ」 「ひ、姫って……。ううー、抱きかかえやすいからって楽しんでないー?」 大当たり。ビンゴ。 こうやって軽々と女性を抱きかかえたいと思ったりするのは、実は私の夢だったりした。 ……、いやまあ、子鈴さんが重かったわけでは決してなく、単に私が非力なんだったりするんだけど。 キッチンへ向かう途中、上から降りてくる気配。 勇治かと思ったが、意外や、結花だった。 こちらと目線が絡み合う。 昨日の言い合いのことを気にしている……のだろうな。 きっと声をかけ難いと思い、私から挨拶をしてみる。 「おはよう、結花」 「……なにしてんの、アンタ」 その目線は、私ではなく、抱きかかえている綾乃さんを貫いていた。 「あ、う……その、亜島さん、降ろして」 「なに、ほんと、楽しそうねー? 父さんも、アナタも。本当馬鹿らしくなるわ」 怒ったように言い放ち、結花は階段を昇っていった。 「ごめんなさい……」 「何で綾乃さんが謝るんだ。単にさ、昨日結花とちょっと言い合ってしまって、それでカリカリしてるんだよ」 ……と、誤魔化してみたものの、それだけが原因ではない様な気がした。 困った。 本当に、……どうすればいいんだろうか……。 私はまだ、どうすれば良いか迷ったまま。 ただ、がむしゃらに動くことしか出来なかった。 心の中で、子鈴さんに助けを求めながら、 私は未だに、父親になれずに居る――――。 …… 収録後・楽屋にて 勇治&綾乃 ![]() はいはい、やっちゃいましょう、今回もあとがき進行〜♪ 作者は居ないけど、ちゃきちゃきとめりっさ気合入れて好き勝手やりましょうー、のコーナーでもあ りますッ! ![]() 妙にハイテンションだな。綾乃さん ![]() だって、本編じゃまだ、猫被ってるしー。この場でないと、はっちゃけられないもん。ちょっと砕けただけでさ、まだまだ本領発揮じゃない感じ。早く好き勝手 やりたいわ。 ![]() 次辺りで本性が出てくるから良いんじゃないか。で、何をするんだ? ![]() とりあえず、勇治の自己紹介かな。カンペ……は、あれ? 何処行ったんだっけ? ![]() ああ、憶えているからいい。名前は当然、亜島勇治。十六歳で、作中で十七に成る予定。身長は百七十二。男の癖に細い体付きだから、そろそろ鍛えたほうが良 いかと思い始めている。 ![]() アー確かに、ちょっと細いよね。でもまあ、力だけが全てじゃないからね。どう? 私が投げの一つでも教えようか? ずばーんと、相手を投げる方法。 ![]() 投げ? ……まあ、教えてもらえるものなら教えてもらうよ。それで、この後どうするんだ? ![]() 次回予告とかどう? ![]() そうか。次回の亜島家は。 切れた結花ねぇ、あばれる綾乃さん。俺はなんだか、卑怯な手を使ったり。あいつはそうだな、あまり出番は無い。いつものことだが。 ![]() まあ、呆れ返るほど平穏とは無縁の家だな。 ![]() 「勝てば団欒?、負ければ追放」。勝利の女神は誰に微笑むのか〜♪ ![]() ……まあ、誰でもいいのだが。次回はカレーに注意だ。 ![]() では、次回も、亜島家で逢いましょうッ! 戻る…… |